対談:子どもの携帯電話利用について

<魔のない世界>からの追放/解放
特別対談・番外編 本紙未収録部分をWeb公開!!
子どもの携帯電話利用について   尾木 直樹 X 鈴木 弘輝
『Mobile Society Review』第15号では、連載「〈魔のない世界〉からの追放/解放」のまとめとして、連載を執筆した鈴木弘輝(社会学者)と尾木直樹(教育評論家)の両氏による特別対談「いま教育の場に理想が必要だ」を掲載いたしました。対談当日は、学校や家庭における教育の現状、社会制度、海外事情など、教育に関してさまざまな角度から議論が交わされましたが、誌面スペースの都合上、読者の皆さまにぜひ読んでいただきたいと思いつつも、残念ながら掲載を見送らざるを得なかった部分が数多くありました。特に、わたしたちモバイル社会研究所が取り組んできた最も大きな研究テーマのひとつである「子どもたちの携帯電話利用」について交わされた議論はきわめて示唆に富むものでした。そこで、尾木、鈴木両氏の承諾を得て、該当する部分を特別対談「番外編」として本ウェブサイトに掲載させていただくことにしました。
尾木 直樹 (以下、尾木):今年に入ってから、「子どもとメディア」というNPO法人が全国の小学生5000人を対象に、一番最近の休日に何をして過ごしたか調査したんです。結果についてはまだ分析中ですが、小中学生の約10%がネット依存です。中間報告を見た限りでは、ネットに夢中になっている子どもが予想以上に多く、それらの中勉強して過ごす子どもはほとんどいませんでした。食べ物もろくに食べず、「ネット漬け」「ケータイ漬け」になっている子どもが非常に多い。なかには朝4時に起きてテレビを見始め、日中はネットやらゲームやらにクギ付け、しかも寝るのは夜中の3時という子もいました。その子だけが極端な生活をしているというわけではなく、ネットパトロールをしているメンバーによると、多くの子どもたちの掲示板やブログへの書き込みが集中するのは午前2時、3時だそうですから、夜更かししている子は予想以上に多いのです。
 いわゆるオンラインゲームに熱中している子どもたちは、パソコンに一日中ベッタリでしょう。インターネット上の仮想空間を舞台にさまざまな人が参加し、リアルタイムで常に誰かとやり取りできるので、いつの間にかのめり込んでしまうわけです。状況は非常に深刻で、大阪府の橋下徹知事が言うように、子どもからケータイやパソコンを取り上げれば済むだなんて、そんな単純な問題ではありません。問題とすべきは、携帯電話やパソコン、テレビに依存したくなるような生活環境や親子関係、学校の人間関係です。夢中になっているモノを取り上げるだけでは、よりどころを失ってもっと間違った方向に走ってしまう危険さえもあるのです。
 それにしても、昨今の子どもたちの生活実態は大人の想像をはるかに超えていて、調査を行うたびに驚かされます。今回の調査では、夕食中もケータイを離さず、浴室にまで持ち込んでネットにアクセスしている子がいました。音楽を聴きながら、テレビを見ながら、マンガを読みながら、ほぼ常時と言っていいほどケータイを使っている子が少なからずいて、なかには朝6時まで徹夜でケータイを使っている子さえいる。具体的に言うと、土曜日は徹夜して日曜日の朝6時に就寝し、正午に起床。シャワーを浴びてから昼食をとり、それから友だちと「外で遊ぶ」。
鈴木 弘輝 (以下、鈴木):売れっ子タレント並みのスケジュールですね。
尾木:そうですね。時間の使い方が以前とまったく違います。いま「外で遊ぶ」と言いましたが、これも学校の校庭や広場で遊ぶわけではありません。いまの子どもたちはショッピングモールに行くことを「外で遊ぶ」と表現するんですね。
 じつは、調査で「勉強した」と書いた子がたった1人だけいたんですが、どんな勉強をしたかと問うと、驚いたことに日本史のマンガを読んだだけ。「勉強した」子どもがその程度なんです。
鈴木:ほかに以前の調査と比べて何か大きな変化はありますか。
尾木:私の主宰する研究所では昨年8月、全国の中高生3000人を対象に携帯電話の使用頻度を調査したんですが、2年前に私のゼミで行った4000人を対象とした調査に比べると、ケータイメールの発信・受信の頻度が明らかに減っていました。とはいえ、それは特に評価すべきことではありません。調査では、NTTドコモの「パケ・ホーダイ」(2008年末で受付終了)のようなパケット定額サービスに加入している子どもほど、ネットにアクセスしている時間が長いという結果が出ました。また、テレビやゲームなどネット以外のものに対する依存傾向と、ネットへのアクセス時間の長さには相関関係があることも分かりました。結局、子どもたちは何かに依存しなくては生きていけなくなっている。携帯電話を取り上げても、別の何かに依存する結果を招くだけなんですね。
 先ほどの3000人調査では、全国各地の学校を訪問して、子どもたちに携帯電話に関するアンケートに答えてもらいました。そのなかで、「パケ・ホーダイ」に加入している子どもたちに、定額サービスを使っていなかったら利用料金はいくらかかっているのか、具体的な金額を書いてもらったんです。みんなカバンからケータイを取り出して、データを見ながら記入していましたよ。一番多かった子は東京都の中学2年生で、なんと120万円。続いて北海道の中学生で100万円でした。
 メールアドレスの登録件数では、一番多かった子どもで1000件。アンケートの回答に700人以上という選択肢を用意して、それ以上登録している場合は具体的な件数を記入してもらいましたが…記入する形をとって正解でした。
―このような現状は、コミュニケーションへの依存と捉えるべきなのでしょうか、それともエンターテインメントへの依存と捉えるべきなのでしょうか。
尾木:両方でしょうね。思春期論から言えば、この時期は友だちが欲しくて仕方がない時期なんです。親や先生に対して反発心はあるけれど、当然精神的には自立しきれていないし、経済的にも社会的にも自立できていないから、たったひとりで宇宙遊泳しているような感じで、ものすごく寂しいんですね。だから友だちに頼りたくなる。そんな心細い時期に、たとえ学校に行かなくても四六時中誰かと自分をつないでくれる携帯電話という存在は、子どもにとって頼りがいのある貴重な道具なんだと思います。そういう意味ではコミュニケーションへの依存と言っていいでしょうね。
 子どもたちの一日は、「おはよう」のあいさつを兼ねた他愛のないメールのやり取りから始まるようです。ネットパトロールをしている方によると、いわゆる「ギャル語」が飛び交ってほとんど解読不可能なケースもあるとか。「ギャル語を読み解く辞書がほしい」とおっしゃる方がいますが、子どもたちの側に立ってみると、大人には理解されないからこそ「隠語」の快感があるわけで、ますます依存したくなるのでしょう。子どもたちの本能のようなものを感じます。
 そういえば、大阪府教育委員会の調査で、友だちからメールが届いたら3分以内に返信している生徒が10数%もいる(中学1年生で17.1%、小学6年生で16.8%)ことが明らかになって、橋下知事が「たいへんな依存状態だ」と言っていましたが、全国的には15分以内に返信するのがルールのようですから、3分で返す大阪はより依存が進んでいると言えるかもしれませんね。
鈴木:大阪の人はツッコミますからね(笑)。
尾木:そうですね(笑)。それと、エンターテインメントとしての依存も根深いです。友だちが無限に広がっていく感じがして、それはもうメチャクチャ楽しいでしょうね。リアルタイムで対戦できるし、新しいゲームも次々と登場しますから、やっていて飽きないと思いますよ。
  ネット漬けの子どもたちは、もはや「デジタルタウン」に本当に住んでいる感じです。デジタルタウンにある架空のデジタルスクールが現実の学校とすり替わり、子どもたちはそこで友だちと遊んだり、ケンカしたりしている。デジタルスクールで発生したトラブルが現実のアクチュアルな学校に持ち込まれると、教師は原因も経緯も把握できない。前日まで仲の良かった子どもたちが、翌朝来てみるとなぜかケンカをしているのですから。デジタルスクールは教師には見えないわけですから、それも仕方のないことです。
  子どもたちは授業中もネットの掲示板などにどんどん書き込みをしているようですから、いつ何が起こるか分からない。高校生になるとそれが顕著になるようで、高校の先生方から「ネットパトロールをしないと学級経営できない」という声がよく聞かれます。
  和歌山県のある自治体では、教育委員会が全中学校に携帯電話を配り、先生方が1人20分ずつ交代で一日中ネットパトロールを行うという、先進的な取り組みを実施しています。ただ、1人20分の持ち時間内だけではとてもパトロールしきれず、悪戦苦闘されているそうです。誰かが友だちの悪口を言っていると、教師が中学生になりすまして「ねえ、あの子いいところがあるじゃない。いつもお掃除よくやるよ」と書き込んだりする。ところが、子どもたちのほうも敏感に察知して、「先公が紛れ込んできてる」と締め出されてしまうというんですね(笑)。結局、とてもやりきれないとわかってやめてしまいました。
  一昔前からすると考えられないような呆れた事態ではありますが、それでも先生方がなんとか子どもたちの実態を把握しようと努力しておられるのは、もはや携帯電話抜きにして子どもの生活を捉えることができないと分かっているからです。文部科学省の調査によると、中学生のケータイ所持率は6割弱(56%)、中学3年生に限定すると7割超(注:2009年2月25日に発表された調査結果(速報)では、中学2年生の所持率が45.9%、高校2年生の所持率は95.9%)。地方に行けば行くほど所持率は高くなります。首都圏の場合、たとえばマルキュー(=渋谷にあるファッションビル「109」)に遊びに行くなど、さまざまな方法でガス抜きできますから、地方より依存傾向は緩和されているわけです。
―子どもに携帯電話を持たせることについては、親御さんのほうにも迷いがあるようです。安全のために持たせたいけれど、ネット漬けになるのは不安だと。だから、学校がケータイの持ち込みを一律に禁止してくれると、ホッとするところがあるのではないでしょうか。とはいえ、本来的には、親御さんたちがまずは子どもを信頼して、失敗を重ねながら経験を積んでいくほうが望ましい気がします。
尾木:その「失敗」が、たとえば子どもの部屋にテレビを置いたらテレビを見過ぎるようになった、という程度なら問題ないと思いますが、携帯電話の場合はもっと大きなリスクを孕んでいるから注意が必要なんですね。
  テレビの場合はNHKであれ民放であれ、それぞれが倫理綱領や放送番組基準を制定し、番組審議会を開いて定期的に議論する仕組みがあります。また、BPO(放送倫理・番組向上機構)のような任意団体や公的機関を設け、基本的には公共性と社会的責任を意識しながら連携して動いています。問題のある報道をすれば、社長の責任問題になりかねません。ところが、携帯電話にはそういう公共性や、責任をとる仕組みが一切ない。パソコンのフィルタリング(=有害情報などを選別する)機能をいくら徹底してみたところで、ギャル語を使われたらすべて素通りしてしまいます。そんな満足なルールもない状況のなかで、未成熟な子どもたちが、情報を受け取るだけでなく発信までしている現在の状況はきわめて危険だと感じなくてはいけません。
―携帯電話会社は、「パケ・ホーダイ」のような定額サービスを提供することは利用者のメリットになると考えながらも、それが結果として、子どもたちにコミュニケーションの機会を無制限に与え、携帯電話への依存を促すことにつながっているのではないか…というジレンマを抱えていると思います。実際、尾木先生がおっしゃるように、もはや携帯電話抜きにして現代の子どもたちの生活は考えられません。わたしたちはこの引き返せない現実を前提としたうえで、改善策を考えていかなければならないと思います。インターネット上に第2の世界、つまりデジタルタウンが広がっているのであれば、そのことをポジティブに捉えてうまく活用するサービスや手法を見出すのが、携帯電話会社の役割だと考えますがいかがでしょうか。
尾木:僕は、ケータイリテラシー(=使いこなす力)の教育にもっと力を入れていただきたいと思っています。携帯電話会社はすでに始めているようですが、携帯電話会社だけが努力すれば済む問題ではなく、社会全体で取り組まなければならない緊急の新しい問題です。メディアリテラシーの轍を踏んでほしくないですね。日本ではケータイリテラシーどころか、メディアリテラシーの教育さえ学校でも家庭でもほとんど行われてきませんでした。メディアリテラシー教育の先進国と言われるカナダでは、保守党政権になってから微妙に変わってきたものの、かつてメディアリテラシーの習得は教員免許をとるための必修科目の一つでした。それくらいメディアリテラシー教育が重視されていたわけです。ところが、日本では子どもに最も身近なメディアであるテレビの見方すら教えてきませんでした。メディアの特性を理解し、報じられる情報を客観的に捉える能力を身につけていない日本人は、だから、大人になっても情報に流されて右往左往してしまうのです。
  それとまったく同じことが、いま携帯電話の世界で起こっています。携帯電話が子どもたちにとってこれほど身近な存在になり、多くのメリットや可能性を有しながらも数々の問題を孕んでいる以上、ケータイリテラシー教育は不可欠です。それも、一方的な講義というかたちではなく、携帯電話会社あるいは情報教育のプロが、子どもたちが直面している現実の家庭生活、学校生活における人間関係を良い方向へ向かわせることを意識しながら、子どもたち自身に考えさせつつ学んでもらうというかたちが望ましい。さらに言えば、子どもたちと一緒になって、人権のモラルが高く健康的なケータイ文化というものを日本に根づかせていってほしい。そのためにはまず、大人が子どもに直接話を聞き、その実態をつぶさに知る必要があるでしょう。
  ネットや携帯電話、情報教育に関わる専門家の方々には、「自分たちが新しいネット文化の担い手になるのだ」という意気込みとプライドを持って取り組んでいただきたいと思います。
鈴木:そうですね。まずは子どもたちの実態をつかむことですよね。
尾木:先ほど触れた昨年8月のアンケート調査で「ネットの情報や書き込みを少しは信じますか」という質問に、信じると回答した中学生がどのくらいいたと思いますか? ちなみに、法政大学の学生に同じ質問をしたところ、約4割の学生が信じると回答しました。
鈴木:おそらく、どちらか極端なんでしょうね。信じる割合がものすごく高いか、その正反対か。信じない学生が多かったのでは?
尾木:その通り。信じると答えた中学生女子はわずか2割、男子に限って言えばたった1割だったんです。ちなみに、高校生女子は約3割、男子は約2割でした。この結果が意味するところは、ケータイリテラシーを経験的に身につけてきているという評価もできますが、子どもたちは自分自身が普段からネットで嘘八百を書いたり他人になりすましたりしているので、「信じるほうがおかしい」という感覚を持っているともいえるのではないでしょうか。
  僕ら教育関係者からすると本当に寂しい限りです。人間誰しも純粋に信じてほしいと思うときがあるでしょうし、ネットに書かれた嘘八百で傷つく人だっているでしょうに…。実際、中傷めいた書き込みを読んで傷つき、講義終了後に相談に来た学生もいます。本人にとっては深刻な悩みなのです。そういう問題を、いまの中学生が「深刻に考えるような話じゃない」と簡単に受け流しているのだとしたら…寂しい限りですね。その側面だけを切り取って議論するのは危険だと承知してはいるのですが、やはり割り切れない思いがあります。
―ネットの情報をそう簡単に信じないということは、逆に言えば、知らない人についていくとか、だまされるといった事件の減少につながる気もしますが、いかがでしょう。ケータイが普及していく過渡期の現象だと見るわけにはいかないでしょうか。
尾木:僕は、どうやって犠牲者を少なくしながら過渡期、成熟期へとつなげていくかが重要だと思います。
  自動車社会が今日のように成熟していった、その過程を考えてみれば分かります。運転免許を例にとってみると、僕が小学生のころは簡単に取得できる免許がありまして、360cc以下の車や3輪車、バイクなどに乗ることができました。車の数も少なかったですから、免許制度が未発達だったと言えると思います。シートベルトにしても、運転席、助手席での着用が義務づけられたのはほんの20年ほど前のこと。昨年の6月からは後部座席に関しても義務化され、飲酒運転については同乗者や飲ませた店まで罰せられるようになりました。
  そうした規制をはじめとして、事故減少のために行政や企業、個人がそれぞれ努力し、また協力しながら、命を大切にするクルマ社会を模索してきたわけです。その成果が、かつて1万6千人を超えていた交通事故の死者が半分以下の6000人まで減ったという数字にも表れているのだと思います。
  ケータイにも同じことが言えるのではないでしょうか。社会全体で今日のクルマ社会を築き上げたように、子どもたちと一緒になって、ケータイ社会、ネット社会を構築していくという視点が重要です。「ケータイの世界は子どもたちの交流の広場のようなものだから自由にさせたほうがいい」とメリットのみ強調する方もいますが、それは、現状を総合的に捉えていない意見のような気がします。
鈴木:「ネットの世界なんてこんなもんだ」「ネットにいるのは嘘つきばかり」という感覚に慣れてしまうと、現実の世界に対しても、「嘘つきばかりが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているから、期待しないほうがいい」という醒めた目で見るようになってしまうのではないでしょうか。また、「ネット(のなかのコミュニティ)は頭が悪い人間の集まり」「ネットは頭のいい人間が見るものじゃない」などと、ネットあるいはネットに依存する人たちを極端に軽蔑している子もいるのですが、それは自己防衛本能の表れだと思うんです。ネットの情報をそのまま信じ傷ついてしまうことを恐れているのでしょうね。
  「ネットの情報なんて、いくらか割り引いて考えなきゃいけないよね」というバランス感覚があればいいんですが、現実にはネット上のコミュニケーションに依存していながらも「ネットの情報は一切信じない」という層と「そもそもネットなんか見ない」という層の二極分化が起こっています。それはネットの世界だけにとどまらず、現実世界のあらゆることを多角的に捉える姿勢が失われつつあるということでもあります。秋葉原連続殺傷事件の加藤智大被告に対して、ネット上では「俺も共感できる」という書き込みが急増したようですが、おそらくそれは氷山の一角に過ぎず、加藤被告と似通った極端な社会観を持つ人は、世間が考える以上に多いと思います。
  これは重大な問題です。ネットとの関わりを通じて、子どもが子どもなりにどのような社会観を構築しているかというところまで意識して調査・分析し、何らかの手を打たなければ、われわれが想像もできないような恐ろしい社会になるかもしれません。
尾木:iモードなどのケータイウェブ閲覧サービスは諸外国の中でも日本と韓国が突出して発達しているのですが、同じように発達したように見えて、じつは両国の間には大きな違いがあるのです。
  その違いを如実に感じたのは、昨年、韓国で大騒ぎになった狂牛病牛肉輸入騒動のときでした。これはそもそも、小学生の間で話題になった「給食のスープに狂牛病のアレが出るらしい」というデマがきっかけだったんです。そのデマがケータイのネットで広まり、掲示板が乱立して「僕たち死にたくない」「狂牛病になるのは嫌だ」という書き込みが相次ぎ、それが中学生、高校生の間にも飛び火しました。それを大人たちも真剣に受け止めて、「市民メディア」の活躍もあり、子どもから大人まで70万人もの人が集まる大規模なキャンドルパレードに発展、最終的には大統領が牛肉の輸入を撤回する事態になりました。デマがきっかけだったのは問題があるにしても、小学生でさえ「嫌なものは嫌!」とネットを使って主張し、その考えを、大人たちは子どものポジションに立って理解し支援したわけです。
  この一連の流れで分かったのは、韓国ではネットというものを、大人も子どもも関係なく一市民として社会に参加するための「市民メディア」としても使っているということでした。
  それに比べると、日本では「今日どこかに行かない?」とか「遊ばない?」というように、ケータイはほとんど私的なツールとしてしか使われていません。まるで「私小説」です。われわれ日本人は大人のポジションでしかものを考えておらず、子どもたちを狭い世界に隔離しているのです。隔離された子どもたちが、ケータイをさらに狭い世界の友人とのコミュニケーションツールとしてのみ活用するのは当然ではないでしょうか。だから、ブログなどに平気で個人情報を流すわけです。みんなやっているから安全で、大丈夫なのだと思ってね。
  そんな状況では、成熟したケータイ社会の構築など望むべくもありません。鈴木さんも言われたように、このまま放置していると危機的な状況になると思います。テレビ各局が同じニュースを繰り返し放送するのを見ていると、無意識のうちにそれが一般的で正しいことだと刷り込まれてしまうのと同じように、おかしいこと、理不尽なことに憤る感性が萎えてしまう「脱感作効果」に陥るのではないでしょうか。嘘が多い環境に慣れてしまえば嘘をつくことはいけないという意識も鈍ってしまうでしょう。子どもたち一人ひとりにいかに社会性を持たせるのか、社会的責任感のある国民をどう育てるのかを、社会全体で真剣に考えていかないと取り返しのつかない事態になると思います。
鈴木:子どもたちが置かれている状況はとても過酷だと思います。関心、意欲、態度で学力を評価されるといういまの「新学力観」のもとでは、学校で本音を出し合うとか、反対意見を言うなんてほとんど不可能でしょう。ましてや、いい学校に行きたい子や、親から期待をかけられているような子にそれを望むのはもっと難しい。いまの子どもたちにとって、持て余した感情を吐露できる場所はネットしかないのではないかと考えられます。そして、現実の世界で出せない、一人ひとりの不満が共鳴し合うからこそ、たとえば「死んじまえ」なんていう残酷な言葉が日常的に飛び交う悲惨な状態になってしまう。本音ではそこまで思っていなくても、「『死んじまえ』なんて言葉はみんな普通に使っているから、僕が『死んじまえ』と書いてもたいしたことはないだろう」という感覚になっていくのでしょうね。ひどい状況だと思いますが、行き場のない子どもたちの心情を考えると、彼らを一方的に責めることもできません。かといって、子どもたちをこのままネットの世界に隔離しておくのも危険すぎます。教師から働きかけたり、コミュニケーションをとったり、とにかく何らかの具体策を講じて、現実の社会に連れ戻してあげる必要があると思います。
尾木:岐阜県にネット教育が盛んな中学校があって、そこの取り組みが参考になるかもしれません。
  僕が子どものころ、学級日誌とか生徒会の政策に対する意見を出せる投書箱というものがありましたが、その中学校は同じことをネットで行っているのです。学校の掲示板という公的な場で、ネットとの関わり方をトレーニングしていこうというわけです。たとえば、ブログや掲示板に書いたちょっとした一言が、思いもかけないようなトラブルを招いたり、ブログの炎上につながったりしますよね。そうしたさまざまな問題を学校の掲示板を通じて経験し、マナーやモラルを身につけていく。岐阜県ではこの取り組みによって、確実にケータイモラルが高まってきたそうです。このように、子どもたちにとって最も身近な社会である学校で、ネットを実際に使いながら訓練していくのが一番だと僕は思います。
  今、東京でも私立和光中学校などでは、生徒自身が学校生活におけるケータイモラルの構築に向けた取り組みを生徒会で行っています。また、区立の中学校でも問題提起のパンフレット(「中学生の中学生による中学生のための携帯ネット入門」)やネットいじめのDVDを生徒会が全て自ら作成し、読み合わせをしたり、上映会を開いたりしてがんばっています。こんな生徒主体の動きが全国に広がることを期待したいですね。
※ 敬称略。
(2009年3月31日公開)
未来心理より「<魔のない世界>からの追放/解放」連載紹介
対談:子どもの携帯電話利用について

本サイトをご利用頂くための推奨環境をご案内しております。詳しくはこちらをご確認下さい。