
慶應義塾大学の武山先生の研究室の協力を得て行われたワークショップを終え、早速座談会が開催されました。武山先生の鋭敏な考察と共に、ワークショップに参加した学生たちの様々な意見が飛び交いました。
-まず、武山先生におうかがいします。先生は子どもとメディアの関わりを研究の中心に据えていらっしゃいますが、どのような観点でこのテーマを重視されているのでしょうか。

武山政直
(たけやま まさなお)
慶應義塾大学経済学部助教授
愛知県出身。慶応義塾大学経済学部卒業後、慶應義塾大学環境情報学部助手、武蔵工業大学情報学部助教授を経て、2003年度から現職に。モバイル社会における都市経済や街づくりについて、ライフスタイルや消費の側面から分析を行っている。
武山:社会を対象にした研究を行っていく上で、「これから世の中がどのように変わっていくか」ということにみなが関心を持つわけですが、今、子どもに注目するということは、次の時代の社会を少し前もって考えていく上で非常に重要なことだと思っています。特に、これから育ってくる子どもたちの、情報メディアとの接し方や意識が我々と比べてどのように異なり、コミュニケーションがどのように変化するのか。そのような側面から次世代の社会をデザインする上での様々なヒントが得られるのではないかと考えています。
-先生が捉えられている「子ども」というのは、どれくらいの世代なのですか。
武山:おおよその目安ですが、まずは1975年以降に生まれ、「デジタル機器の中で育ち、思春期を過ごしてきた世代」です。ここに集まっている学生たちも80年代生まれですから、当然含まれています。ただし、今の小中学生ははじめからインターネットやモバイルといったネットワーク環境の中で育ってきている世代ですので、その世代とは区別して考えています。これらの世代に共通するのは、情報や人に働きかけること、つながることによって価値を生み出し、またその過程の中から自分を確認したり、作り変えたりする特性ではないかと見ています。いずれにしても、「これからの本格的なネットワーク社会の中核的な価値や行動様式を先導していく世代」という意味で、両方とも注目しているわけです。
-学生のみなさんにお聞きしたいのですが、メディアとの関わりについてご両親とギャップを感じたりしますか。

窪田浩爾
(クボタ コウジ)
窪田:僕らにとってはあたりまえのように使いこなせるケータイですが、僕が何度教えてあげても両親はケータイを使いこなせない、という時にギャップを感じます。逆に、僕の弟は中学2年生なんですけど、彼は小学校のときに既に自分のWEBサイトをつくっていました。僕はそういうことをやってなかったので、8つ下だとまた違う人種なんだなと実感しています。
-学生のみなさんのご両親の世代は先生より上の世代だと思うんですが、とくにメディアとの関係やコミュニケーションについて、先生はその世代をどう捉えていますか。
武山:例えば大学の先生でいうと、もちろん個人差はあると思いますが、やっぱり一方向的なコミュニケーションスタイルの人が目立ちますね。自分のもっている知識を一方向的に送り伝えるという考え方で授業を組み立てて、逆に、学生から何かを引き出すということをそれほど意識しない人が多いかなと感じます。それに、ちょっと一般化していうと、「つながる」ことで情報の新しい流れを生み出すよりも「区分する」ことで情報の流れをコントロールする価値感が中心にあるようにも思えます。
あともうひとつ。僕も含めて古い世代は新しいメディアを古いメディアや行動様式に翻訳して理解しようとしますが、新しい世代は新しいメディアを前提にして物事を考えたり行動したりするので、そこにもギャップが生まれるわけです。例えば、研究パートナーの河村さんも指摘していますが、今の大人はなんとなくインターネットをテレビ的に理解してしいるんじゃないかと思います。
-メディアとの関わりについて世代によってギャップがある。それはコミュニケーションに対する考え方にも影響を及ぼしているのでしょうか。
窪田:やっぱり、それは違いますよね。例えば、僕が家に帰らない時でも、僕はメールで「今日はここにいます」と送ればそれで充分だと思いますが、親は僕の「顔を見たい」と言います。親は顔を見ないと不満、僕はケータイで充分。コミュニケーションスタイルに対する捉え方は差があるのかなと思います。

松浦茜
(マツウラ アカネ)
松浦:私は電話で親とよくしゃべります。でも、本当は、たまには実家に帰ってきて、顔を見てしゃべりたいと思ってると思う。
私が親になったら、やっぱり顔を見て話したいと思うし。
登本:私は、ケータイがない時代に、お父さんとお母さんがどうやってつながっていたんだろう?と、疑問に思うんです。例えば、待ち合わせするのもケータイがなかったらとても不便だろうし。逆に、昔はラブレターなんかありましたけど、今はもうないですよね。そういう意味では、きっと、私たちが親に対してどうしてそんな方法でコミュニケーションするのだろうと疑問を抱くように、親も私たちのコミュニケーションの仕方に疑問を感じているんだろうなと思います。
-逆に、みなさんが下の世代、つまり今の子どもたちを見た時にどう感じるのでしょう。みなさん子どもたちとの接点はありますか。
武山:95年くらいから、子どもを対象としたワークショップを継続的にやってきましたので、その機会を通じて子どもと接してきたというのがメインですね。あと、甥姪など親戚で子どもがいるので、彼らとはもう少しプライベートにしゃべったりします。
窪田:僕は中2の弟がいます。それ以外は、ほとんどないですね。
もともと子どもは大好きなんで、子どもと接することに関して全然抵抗はないし、新鮮に感じます。
大村:僕は子どもと接する機会が多いです。従兄弟が4歳から中2までいるんですよ。両親が長男と長女なんで、従兄弟がみんな年下で、その子たちとはよく会っています。
-子どもたちと接する中で、何か印象的に感じることはありますか。

大村康雄
(オオムラ ヤスオ)
大村:おじさんの家に行くと、従兄弟が気軽にパソコンにさわったりしているんですが、ただ、僕は、ネットワークの中に身をおくというのは、学校や家庭といった制約を超えて様々な情報や人に接触できるわけですから、ある意味社会に出てるといっても過言じゃないと思うんです。
子どもはもともと現実空間で生きていて、最初は兄弟間のコミュニティからはじまり、小学校、中学校、高校となっていくに従い、少しずつコミュニティを広げていく。そういうステップを歩んで、それに応じて自分もだんだん成長していくわけです。
なのに、現実には家族とか地域社会のコミュニティで生活する子どもが、バーチャルではいきなり全国とつながるようになってしまう。うかつに変なサイトに入って、中学生の柔らかい頭に帝国志向が生まれるということもありえるじゃないですか。
それを考えると、親はどうするべきか難しいと思いますね。どの段階で子どもにケータイを与えたらいいのか。特に首都圏に暮らしているとメディアの氾濫がすごいので、自分と同じような子がケータイもって目の前を歩いてたりします。すると、自分も欲しいと思うのは当然ですよね。そういうときに親は「人は人なの」としか言えない、というのもどうかと思いますし。これから先、親の力量が大切になってくると思います。
-子どもは、そのメディアをどういうふうに捉えているんでしょうね。
大村:やっぱり基本的には「おもちゃ」なんでしょうね。
ケータイには興味あるみたいで、カメラでひとしきり遊んだりしてます。インターネットに関しては、小さい子はあまり文字も読めないので、単純にクリックすると画像とかが出てくるのが面白いんだと思います。中2ぐらいになると、文字もちゃんと読むようになってきますし、ヤフーみたいなポータルからいろんなサイトに飛ぶようになってくるので、危険ですよね。
-メディアに触れている子どもたちは、その向こう側に危ないサイトがあることを知らない?
大村:そこまで考えられるレベルじゃないと思うんです。ただ、ここを押したら何かが出てくる、と思ってるだけじゃないですか。
実際は、その向こう側に、テレビのようなショーじゃなくて、生々しい人間の諸々があるわけです。小さい子どもがいきなりそういう危険なものに影響を受ける可能性があるというのは、怖いなと思います。
-先日、6歳から12歳の子どもたちを対象にした武山先生のワークショップが行われました。子どもたちにケータイやモバイル機器を使ってもらい、みなさんも様々なゲームをしていっしょに遊んだわけですが、その子どもたちの行動について、何か特徴的に感じたことはありましたか。
武山:小学5、6年生だと、既にiモードのことを知っている子が中にいると、そんなにこちらから説明しなくても子どもたち同士で教え合ってパッと広がっていっちゃう。今の子どもたちは、携帯電話に触るのは初めてだとしても、まわりにパソコンがあったり、デジタルカメラがあったり、要するに「ボタンを押して何か反応が返ってくる」という類いのものが身近にあふれてると思うんです。そういう環境の中で生まれ育ってきてるので、理屈で使い方を覚えていくというよりは、触りながら知らず知らずのうちに、どういうふうに動かせばいいのか感覚的に身につけていくんじゃないのかな。我々のように、大人になってから使い方を覚えていった人間とは明らかに感覚が違うと思いますね。
窪田:写真も撮れてメールも送れてインターネットもできる、という小さな機械を手にもつこと自体、子どもたちには憧れだと思うんですよね。で、そのボタンを押すと何かリアクションが起こる。スイッチを押して何かが起こるというのは、彼らにとって新鮮なんじゃないでしょうか。
-子どもが「楽しい」と思うところに「危険」が潜んでいる場合を特に注意するべきだという主張があります。例えば、最近の回転ドアの事件。回転ドアという子どもにとって「興味があるもの」と「危ないもの」が合致してしまい、あのような痛ましい事件が起きてしまう。ボタンを押して反応が返ってくることが子どもにとって楽しいということになると、ケータイも危ないのかなという気もしますね。
窪田:ボタンひとつでネットワークにつながるなんて、まさに「楽しさの裏側に危険が潜んでいる」ということになりますね。

登本理子
(ナボリモト ミチコ)
登本:私は、子どもは、必ずしもケータイがネットワークにつながるための道具である、というように明確に意識していないと思うんです。コミュニケーションをするためのツールとして考えていない。だって、「ワークショップで、何がいちばん楽しかった?」って聞くと、「宝探し」って言うんですよ。実際にはFOMAでテレビ電話をしたのに、子どもにとっては、ゲーム感覚で勝ち負けを競う、楽しさを求める遊びでしかなかった。それに、回線がつながらなければ、ビデオカメラやデジカメのように使って充分楽しんでもいました。
武山:確かに、携帯電話がコミュニケーションやネットワーキングのツールだなんて考えは、かなり抽象的な大人の考え方なのかもしれません。小学生の子どもにしてみれば、テレビ電話なんかでも、「ボタンを押したら、お互いの顔が写る」「自分がしゃべったら、向こうも何かしゃべってくる」、そういう感覚だと思うんですね。自分がテレビ電話を持ってぐるぐる走り出すと、それに応じて映像も動く、そういう現象を彼らは楽しんでいるんです。それは確かに大人が考えるような、何かメッセージを相手に伝えるとか、情報にアクセスするといった意味の使い方じゃないですよね。むしろ、身体感覚としてとらえていて、それをを楽しんでいるだけのかも知れない。
そう考えると、携帯電話に対して子どもたちがどの程度遠隔の「人とつながる」手段だっていう意識を持っているかは、よくわからないですね。だけど、それは面白いテーマだと思います。
大村:ケータイを「人とつながる」ためのコミュニケーションツールとして意識し出すのは、小学校高学年くらいじゃないですか。女の子に電話するとしても、親を介さずにダイレクトにつながるわけだし、電話をかけやすくなりますよね。ケータイを持つ最大のメリットってたぶんそういうことだと思うんです。そういう均一的なニーズが生まれ始めるのが思春期を迎えた頃じゃないですか。
窪田:僕も、「人とつながる」ことに興味を持つのは、遅くても思春期だと思います。もし、その頃になってもケータイ持ってなかったら、絶対、欲しいって思いますよ。今の子どもはその時期がもっと早いのかも知れないけど。
武山:ただ、それは、我々の価値観で見た場合のニーズかもしれないね。子どもたちはケータイを「おもちゃ」のように見ているかも知れないから、ひょっとしたら我々とは全然違う「人とつながるおもちゃ」としての価値観を見出すかもしれない。
今、ケータイは「携帯電話」として世の中に出てますよね。例えば、これを少し変えて、「おもちゃ」として売り出されたら、ちょっと状況が変わって来るのかなと思いますね。「大人が使う携帯電話」だから、大人の価値観と結び付いてヒットするわけですけど、そもそも「子どもの遊び道具」だというふうにして売り出されていたら、ネットワークの中で遊ぶということがかなり低い年齢で広まる可能性もあると思います。
-ケータイの影の部分、例えば、迷惑メールはいくらでも入ってきますし、架空請求みたいなものも止まらない。アダルトサイトもある。そういうものから子どもをどうやって守っていくかということは大きな課題となっていますが、みなさんはどう考えますか。

登本理子
(ナボリモト ミチコ)
登本:アルコールみたいに、ケータイも○歳からって決めた方がいいんじゃないかと思うんです。やっぱり、負の側面を早く大人が把握してあげて、それを事前に防いであげるという意味で、法を作るのがいいのでは、と。
窪田:技術革新と共に法律も変わっていくべきじゃないかと思いますね。法で年齢制限をつけてしまうと、親が子どもを心配してケータイをもたせるというのもできなくなりますが、やっぱり子どもを負の側面から守るという意味では有効だという気がします。
武山:僕は、ある程度のコントロールは必要だと思うんですが、ある年齢までまったく使わせないというのは、かえって危険だと思います。自動車などおもちゃの乗り物が良い例で、子どもの頃にスピードを出し過ぎたり、乱暴に操作してぶつかって「適度に痛い目にあう」という経験が、すごく重要だと思うんです。ケータイが持つ機能を限定して提供し、子どものときからおもちゃとして楽しく遊んでもらう。それで、ある一定の年齢に達してから、大人と同じようにフル機能が備わったケータイを持ち、好きなところにつながるようにするとかね。そのときの大人のケータイは今と全然違ったものになってるかもしれませんけど。
子どものときから、「ちょっと間違うと痛い目にあう」ということを、「遊び」の中で知ってもらわないといけないんです。それまで一切使っていなかったのに、20才になったらケータイを今日から使っていいですよ、なんて、それこそ恐いという気がしますよね。ケータイの持つ楽しい面も危険な面も、子どものときから、大事に至らないように経験する場をいかにデザインしていくかを考えていく必要があると思うんです。
大村:社会的成長がないままに、子どもがネットワークにふれて汚染されてしまうような状況を防ぐには、逆に、安心して子どもにネットワークに触れさせてあげられる環境をつくればいいと思うんです。例えば、学校のカリキュラムでネットワークに氾濫する情報の危険性を教えるとか。これからはそういう教育がかなり重要になると思いますね。
-安心して子どもにケータイを持たせることができるように、という観点から、公式サイト以外は見られないようにするというサービスをドコモでは提供しています。それについてはどう思いますか。
大村:子どもに悪い情報が入らないという意味では有効だと思います。だけど、それでは子どもの好奇心を無視することになるし、根本的な解決にはなりませんよね。
そうではなくて、「様々な情報に気軽にアクセスすること、様々な人につながることには危険がつきまとう」ということを、子どもが自分で知るようになるといいと思う。インターネットをやりながら、「ここから先はクリックしちゃいけないんだよ」という会話が聞こえるような社会になれば、早い段階で子どもに与えても安全になるのかなと思います。

松浦茜
(マツウラ アカネ)
松浦:子どもは毎日ものすごく成長しているから、その途中で色々なものに触れさせていくことが大事。そうすれば、子どもは自分自身でわかってくると思う。
-何かしなくちゃいけないという感じがしますね。このまま何も手を入れなかったら、今の子どもたちが経済面で主役になったとき、いったい社会はどう変わってくるのでしょうか。
武山:そこは、難しいですね。世の中に何らかの問題が出てくると、社会が崩れないようにバランスを取るという動きが出てくるのも社会の常なんですが、あんまり早急に、人工的にルールを決めようと設計しない方がいいかもしれません。子どもたちの反応を見つつ、ルールや制約のあり方も柔軟に考えていくべきだという気がします。
-インターネットに早い段階から接していると、編集力が高まったり、自分からモノを発信することに抵抗がなくなったりすると言われます。その一方で、スピードばかりを要求するようになり、自分で何かをクリエイトする力がなくなる、そんな懸念も囁かれています。
武山:これからの社会においては、編集力の意味とか、望ましい発信、創造性というものを判断する「価値観」自体が我々の時代とは変わってくると思うんです。たとえば従来の工業社会的な価値観では、「我慢する」ということや、「ひとつのことに集中して計画的に行う」ことを良しとしていましたが、情報社会になってくると、むしろ、その時の状況に合わせて、複数のことを同時にやったり、途中で切り替えたり、フレキシブルに取り組む方が良い、と考え方も生まれてきています。「何が社会にとってより良いことなのか」という価値基準の方も、今、まさに動いている。だから、子どもの示す反応が社会にとって望ましいのか、望ましくないのかという判断をするのは、価値基準とセットで考えないといけないと思うのです。我々は従来の価値基準で現在の変化を評価してしまいがちなのですが、そういう判断には慎重であるべきと思います。
-子どもがそれを教えてくれるという面もありますよね。
武山:そういう意識を持って、子どもに接していかないといけないですよね。昔と比べてどっちが良い、悪い、という議論ではなくて、社会が変わるにつれて物事の在り様も変わっていくということについて、世代の異なる人たちがもっと議論する「場」が必要だと思います。新しい社会は、子どもにも大人にも一緒に訪れるわけですから、どちらか一方が正解を知っているということは無いんだと思うんです。大人はどうしても子どもたちに正解を与えないといけないと思い込んでしまいがちえすが、子どもたちのメディアとの接し方やコミュニケーションスタイルを通じて、僕たち大人は様々なことを学ぶことができます。子どもたちも、また自分たちの意識や価値観をどのように社会の中で表現していくかについては、大人たちから学ばなければならないですよね。モバイルを使ったワークショップで学生や大人たちが子どもと一緒になって活動しているのも、そんな想いがあってのことなんです。
-これからも、子どもとモバイル社会について見つめ、話し合っていく必要がありますね。今日はありがとうございました。
この記事は2004年12月15日に作成されたものです。
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