

便利であるがゆえに急速に普及しているケータイ。しかしその反面。悪用に可能性も思わぬところに存在する。「思わぬ悪用」を予見できる範囲に取り込み、マイナスを極小化するために、今、何が必要なのか。
話者のご紹介
玉井 克哉 – 東京大学先端科学技術研究センター教授
山川 隆 – (株)NTTドコモ モバイル社会研究所副所長
山川:まずはモバイルの普及によってどういう歪みが生じているか、どのあたりが問題になっているのか、玉井先生の全体的な問題意識をお話いただけたらと思います。
玉井:新しい技術が世の中に変化を与えるというのは、様々な面であったわけです。例えば、鉄道や飛行機によって人々の生活は大きく変わりました。このレベルの影響の大きな技術だと、国民生活に定着するのに、四半世紀くらいかかってるんですね。ケータイというのは、まだたかだか10年くらいですよね。ケータイは他の技術と比べても、普及のスピードは圧倒的です。こういう変化に対応するのに人間社会には一定の消化能力があると思うんです。例えば農業社会であれば新しい耕し方とか、新しい肥料とか、何百年かかって普及してきた。でも、産業革命以降は技術革新に、社会生活がついていくのがやっとという状況でした。そして、ケータイがもたらした変化にいたっては、ついに社会が許容できる範囲を超えてしまったという感じがします。PDAを兼ねたり、カメラ、ビデオ、お財布と、実に様々な機能が1台に凝縮されている。それをほとんどの人が持っているという時代です。これは実は信じられないような大きな変化で、我々は通常そういうものかと思って使うようになりますが、そこに敏感な人は恐ろしさを感じている。理解や、受け入れ能力を超えるから、合理性を超えた過激な反応が出ることがある。極端な例では、ケータイを持っていると脳が退化して猿になるというような都市伝説まで出ていて、堂々と本になって売られているわけです。ケータイの場合、社会のあり方を根本から変えるほどインパクトが大きいので、自分たちはどう変化してきて、これからどこに向かうのだろうという、漠然とした不安感が社会を覆っている。時間を掛け、どんな変化が現れるのか納得しながら進んでいるのではないというのが、他の技術とケータイの違いだと思います。
山川:コミュニケーションというのは、人間の根源的な存在とか、活動に関わるもので、ケータイはそこに直に関わってきます。だから、ケータイは人と人が会うための手順が変わるといった、人間対人間の社会的なありようにまで、非常に根源的に影響を及ぼしているという気がします。だから、この変化の速さというのは怖いほどのものがありますね。でも、ケータイにさわらない人にとっては、逆に世の中まったく変わってないという恐ろしい事態になっています。
玉井:利用者の数がある一定の閾値を越えますと、もう、持ってないのが非常識で許されないという状況になります。ケータイが嫌いだという人でも、心理的に持つことを強制されてたりする。今はそういう雰囲気が漂っています。だから、ますます理解しがたいことが進行しているという不安感に拍車をかけているのかなと思います。
山川:みんなの連絡手段がケータイになってくると持たないわけにはいかなくなりますね。もう一方で、私は電話機能がポケットに入ってしまったというのが変化を深めていると思ってるんです。組織とか、家族とか、グループではなく、個々人がコミュニケーションに必要な手段を手に入れたことになります。これは非常に大きなインパクトで、もう営々と個の確立を目指してきた近代がこれで完了したのではないかという感じがしています。
玉井:そうですね。社会心理学者のエーリッヒ・フロムが言っていましたが、実は人間は個人主義というのが嫌いで、人と繋がっていたい、むしろ個人主義から逃げ出すというのがありましたね。一方で自分は自由独立でありたいという気持ちがありながら、他方では他人と同じでないと、他人と繋がっていないと不安だという気持ちがあります。ケータイはいつでもどこでも情報発信や取得が出来、かつ他人とも繋がっていられるというまさしく人間の性(さが)に結びつく機能を持っていることになりますね。
山川:変なことをいいますと、私は脳の願望と体の願望は別々だと思っています。脳は、物理的に体がひとつで、1箇所にしか存在できず、他の場所で他のことをやろうとしたときに時間を掛けて移動しなければならないことにうんざりしているのではないかと思います。脳は、体の上に乗りつつも様々な考えを同時にめぐらせ、意識を多方向へ向かわせることができる。で、ケータイのように便利なものがあれば1分とか2分とかの細切れの時間を使って、コミュニケーションしたり、情報をとったり、ゲームをしたりしてしまう。
玉井:なるほど。それは、面白い見解ですね。たしかにケータイは、そうした脳の欲求に応えるツールになっています。これからもっと記憶容量の大きなものが出てくるでしょうから、映画を観ることができたり、動画もたくさん撮れるようになる。脳のニーズはますます満たされるようになるでしょうね。
山川:機器が進化すると、どんどん簡単に自分を頂点として利便性の構築が出来てしまいます。でも、自分と同じく頂点を築こうとしている他人が認識された時にはじめて、自分を頂点にしてばかりじゃダメだと、思うんでしょうね。
玉井:それは、ありますよね。人間にとって社会生活は大切ですから、自分と同じくらい重要な存在である他人を認識し、社会生活におけるケータイのルールに目覚めることも大切です。電車の乗り方であれば、降りて来る人が先だとか、お年寄りに席を譲るとか、自ずと長い間にルールができてるんですけど、ケータイをどういう場面でどう使うかというのは、まだきちんとコンセンサスが形成されていません。ケータイがここまで普及したのは持っていれば実際に便利だし、楽しいというところもあるからだと思います。いたずらに危険視したり、使う人を忌み嫌ったりするのではなく、きちんと科学的根拠に基づいて対応し、かつ色々な人が参画してコンセンサスを作ることが大切です。

山川:ケータイが多機能化してくると、先生が研究なさる不正使用のやり方も、手が込んで複雑化するんでしょうね。もともと私たちが使っている機器やシステムというのは、一定の生活パターンや長い使用期間を経て、様々な選択を繰り返してきた上で、使い方や仕様が定着してきたと思うんです。そういう過去に積み重ねた想定を超えるような悪用が出てくると、社会としては弱いところがあるのではないかと思うんですが。
玉井:悪用は思わぬところから色々出てくると思いますが、ケータイは何といっても基本は通信機器ですので、「情報を飛ばす」というかつてない方法による悪用の仕方が想定されます。今までの既存の機器、例えばビデオやカメラ、あるいは電子マネー、そういうものをいくら複合しても結局身体に付随してるものなんです。物理的に身体と一緒に動きますから、それ相応だったわけです。でも通信機器で瞬時に情報を飛ばせるとなると、かなり大変なことになるかも知れない。ケータイを使って新しい現象が起こることを想定して、対応していく必要がありますね。
山川:例えばケータイに付いているカメラで撮ってはいけない写真を撮ってそれを送ってしまう。急いで捕まえてケータイを取り上げても、データそのものが送られてしまっては、ということになりますね。
玉井:そうです。あるいはビデオだと動きも記録できますから、例えば銀行ATMで指の動きを撮っておいて、暗証番号を割り出すということもありえる。大きなビデオカメラを持っていれば、みんな警戒しますけど、ケータイだと日常の光景なので警戒しませんよね。
山川:ATMも手元をカバーするようなつくりになる可能性がありますよね。
玉井:体の影に隠してすごい窮屈な姿勢でやるとかですね。誰もが情報機器を常時携帯している時代というのは、本当にどうなるかわからないですよね。
山川:映像の話が出ましたが、商店街の防犯カメラは、便利に活躍しています。その反面プライバシーはないんだと、みんな認識し始めました。あの種のものがケータイのような小さなもので、個人が行えるようになってしまうというのはどうなんでしょう。
玉井:そうなると大変ですね。防犯用カメラはあらかじめどこに設置してあるかわかっているし、予算の制約もあるのでそう無闇に付けることはできない。ケータイというと、日本人のうち8000万人くらい持っているわけです。今やカメラ付きは当たり前になってますから、これがマイナス面で機能すると、プライバシーの問題を含めて大変なことになります。今後は、例えば犯罪の捜査とか本来の目的以外の情報取得に使わないようにするといった新たなレギュレーションが必要になるかもしれません。
逆に、自分の家の防犯に利用するといったプラス面での活用も考えられます。自分の家の様子をケータイで見るというのは、すでにできるわけですけど、もっと安価で操作も簡単になってくると、何百キロも離れたところからドロボーを発見してその場で110番に通報したり、警備会社に電話したり、といったことが日常的にできるようになるでしょう。
山川:今後は新たにお財布ケータイのように、お金の機能も持ち始めるということになると、落としたり、盗まれたりという時の救済措置を考える必要がありますよね。
玉井:そういうことですね。落としたり、盗まれたりしたことを届け出れば、遠隔操作で無効にできて、使われていなければ同じものを再発行するというようなサービスが考えられると思います。8000万人が持ってる代替通貨というのは大変なインパクトです。今までテレフォンカードやJRのカードがありましたが、それらは使用範囲が限られていました。ほんとに現金と同じように使えるものが何千万も発行されるというのは、歴史的に未体験のことですから、そうした救済措置をはじめとする対策が重要になってきます。
山川:フェリカは、物理的に盗まれなくても、データを盗まれると大変なわけです。そういうことは可能なんですか。
玉井:それは、技術的に可能かといったらたぶん可能だと思います。ただ、要は開発のコストだと思うんです。紙幣の偽造だってコストがかかるから、偽造する人がほとんどいない。もちろんコストの中には、現に経済的にかかるコストと社会的なコストがあります。例えば紙幣を偽造すると非常に重たい刑罰が科せられる、それを考えるとコストとして割が合わない。これが社会的なコストですね。フェリカを使用した不正利用や悪用も技術的なコストを見積もって、仮にそれがそんなに高額でないとすると、紙幣と同様に刑事罰をかけてコスト的に見合わないというようにしていかなければならない。とくにフェリカみたいなものは、とても便利ですから普及した方がいいと思いますが、やっぱり普及の障壁になるのはそういうセキュリティや偽造の問題です。みんなで知恵をしぼって考えなければなりません。
山川:では最後に、モバイル社会がどういう社会になっていくべきか、先生のビジョンをお聞かせ下さい。
玉井:インターネットの普及によって、情報を取得するコストが劇的に低下しましたよね。学者という稼業は、その恩恵を実に大きく受けています。今まで資料集めだけで1ヶ月くらいかかってた作業が、あっという間に机の上でできてしまう。その格差がなくなったおかげで、世界中の研究者が対等な条件で研究できるようになりました。情報格差をどんどんなくしていくツールとして、モバイル機器が進化していくといいと思います。さらに考えなければならないのは、ハンディキャップを持っている人たち、つまり目が不自由な方や耳が不自由な方などとの情報格差をなくしていくということ。実生活だと非常に情報の取得に制約のある方が、テクノロジーを使うことによって、それを克服していく。誤解されがちですが、これは、一部の特殊な人の問題ではありません。日本社会は急速に高齢化して、お年寄りが増えてきます。高齢化というのは、多かれ少なかれ身体機能の低下を伴います。つまり、バリアフリーというのは、社会全体の課題です。そして、もし皆の手許にコミュニケーションのツールがある、それによって社会と繋がっていられる、居ながらにして様々なことができる、そうなれば、社会全体を明るいものに変えていく可能性があります。高齢化のスピードでもケータイの普及速度でも世界稀に見る実験をしているこの社会で、そうした未来像を現実化させるのが、これからの課題ではないでしょうか。
山川:モバイルを本当の意味で「便利なツール」として、いかに社会のシステムに軟着陸させていくか。私たちに課せられた重要なテーマですね。先生が研究されている悪用や不正使用という観点も、一見後ろ向きに思われてしまうかも知れませんが、悪用を考察することで、その対策が見えてくる。悪用や不正使用について考えるというのは、モバイルの新しい可能性や社会全体を見つめるきっかけになるような気がしますね。
玉井:ケータイやモバイルは、もうそれなしで社会生活が成り立たないような存在です。今から後には戻れないと思います。だから、悪用や不正使用が可能だとしても、私たちは折り合って生きていかなければならない。そうすると、その折り合い方をどうするかが重要です。モバイルがもたらすプラス面だけでなく、マイナス面をきちんと検証し、改善策を導き出す。そして、世の中にとって深刻な問題にならないようにするのが私の研究テーマと言えます。
山川:重要な研究テーマですよね。本日はありがとうございました。
※所属はインタビュー当時のものです。
(インタビュー実施日:2004年8月2日)
本サイトをご利用頂くための推奨環境をご案内しております。詳しくはこちらをご確認下さい。