

比較文化的・歴史社会的な観点からモバイルメディアの社会的文脈を捉える水越助教授。その深い見識から放たれる幾多の提言と展望の数々に、モバイル社会研究所副所長の山川隆が迫る。
山川:まず最初に、水越さんからご覧になって、モバイルの普及による社会的なインパクトやその状況について、どのように捉えられているのでしょうか。
水越:けっこう「ただれてきた」という感じで捉えています。ケータイの本格的な普及が始まってから十数年、その間、急速に普及台数をのばしてきました。情報技術の進歩というのはすごく速いのですが、それと関わる人間の行動や社会の仕組みは、もう少しゆっくり変わりますから、表層の潮流と深層の深海流みたいなもので、今すぐ全体像をつかむことは難しい状況ですね。「ただれた」という感じを別の表現で言うと、光の部分と影の部分のコントラストがきつい状態になっていると思います。
山川:あちこちで不均等になったという状況が目立つほど、ケータイのインパクトは大きいということですね。社会的なインパクトから考えますと、コンピュータの処理速度が夢のように速くなったというより、ポケットの中に入るようになったという方が影響は大きいような気がします。
水越:その影響は大きいだろうと思います。僕らは未だに、テレビとか新聞の影響を受けており、ひとつの番組やひとつの事件の記事が日本全体に均質な形でばらまかれると、それがあちこちで影響を及ぼして世論を喚起したりする。そういう均質的で統合的なメディアの機能を切り裂いたり、断片化したり、パーソナライズしていく方向に、ケータイというメディアは影響を与えていると思います。僕らは今や、家族とリビングルームでテレビを見るという古典的な流儀に従いながら、一方でいつでもどこでもケータイのメールを打っています。さっき僕が光と影のコントラストとか「ただれてる」と言ったのは、そういう意味で、産業的な意味だけじゃなく文化的な意味でも、メディア文化がせめぎ合っているということなんです。
山川:ケータイが急速に入り込んだ結果として色々なメディアが社会における居場所というか、役割にまだ落ち着いていないというわけですね。

対談風景
水越:ええ、繰り返し言うと、コントラストがきついとか「ただれてる」というのは、それが予定調和的に、ある文化が古くなったからある文化が出てきたというわけじゃないんです。あい変わらず僕らは映画も観るし、リビングでゆったりテレビも観ます。一方で終電に間に合うかケータイのサービスで見たりします。お互いのカルチャーがガツガツとぶつかり合いながら、混沌とした状況を迎えていると思います。
山川:私どもが研究所を設立するにあたりモバイル社会研究所という名前にした理由は、モバイルが社会の特徴になってきたという意味で、全部モバイルに変わったということは考えていません。コンピュータがポケットに入るようになり、マスメディアが今まで流してこなかった情報を共有できるようになりつつある。そうしたモバイルが特徴的となった状況を指しているわけです。
水越:私の所属する東京大学大学院情報学環は、今年度、2004年度から55年の歴史があった社会情報研究所と合併をしました。社会情報研究所はかつて新聞研究所という名前であり、これが設立されたのは1949年です。さらにその前身は、文学部新聞研究室にまでさかのぼることができます。当時はテレビもラジオもなかったので、メディアが社会にどういう影響を与えるかを考える対象が、新聞くらいしかなかった。ですから今で言うメディア研究所みたいな意味だったんです。テレビの場合も、本放送が始まって約10年後、1960年代の前半にNHKの放送文化研究所ができました。これはテレビの普及台数が100万台を超え、毎年倍々で伸びていった時期で、テレビメディアの社会的影響を考えたいという気運が高まったわけです。つまり、新聞学にしても放送学にしても、その始まりは新しいメディアの登場というインパクトを経てから10、20年後のことでした。メディアと知の関係において、このころに大きな節目を迎えるというのはまず間違いないと思います。そういう意味では、いまモバイル社会はその節目にあるんじゃないかと言うことができるわけですが、しかし僕は、個別の学としてケータイ学というものは出来ないだろうと思っています。それはケータイの社会的な影響に特性がないということではなくて、狭い枠に学問を限ることをせずに、広く諸学の影響を吸収しながらケータイ・モバイル文化というものを考えていく必要があると思うんです。
山川:メディアという観点から考えますと、出版も含め、新聞、雑誌、放送も、どんどんマス化していきました。しかし、ケータイは、個の方に近寄って来ます。人間の生活は、ある技術が発見されて、それが製品に反映されるような短い期間で生活パターンを変えないし、家族の中での関係とか社会制度の中身とかも変わらないわけです。そうした中で、技術が非常なスピードで変わってしまって、個が突出するような技術に今変わりつつある。こうした状況を表現する意味で「ただれてる」というのはいいキーワードになると思います。

水越:ケータイやモバイルメディアの可能性というものを追究して、それを明かにすることが今必要ですね。この前の理事会の時に不正利用の防止の研究という話が出たんですが、僕の考えではあれは、ケータイの可能性をなるべく広げて考えてみよう、という面白い研究だと翻訳できると思います。文化的にも産業的にもケータイのカタチが決まりつつありますが、なるべくそれが凝り固まらないようにもみほぐしながら、ケータイが本来もってる楽しさや面白さを広げていく必要があると思います。
山川:所詮、我々は今立っている所からしか発想できないという制約があることを考えると、技術や文化的な側面を含め、あらゆる方向からもっとフレキシブルに、どんどんやってみても面白いですよね。
水越:それと、モバイルメディアを考える上で、2つの目線が必要だろうと思います。ひとつは、モバイルメディアが社会や人間にどういう影響を与えていくのかという観点。それはさきほど言った、新聞学とか放送学とは違う位相できちんとみていくことが大切です。もうひとつは、それをメディア側からだけではなく、人や社会状況の側から捉えるということです。新聞が出てきた時に、新聞は社会現象を起こしたと言えるんですが、実は現象を起こすような素地が、当時の都市住民や社会のまわりにあったからこそそうなり得たわけですよね。モバイルにしても、ある素地において、ちょうどコンペイトウの核のようにモバイルがなって、何かが瞬間的に蒸着し、結晶化する。通常のメディア論では結晶化したモノやシステムとしてのモバイルしか見なくなりがちなのですが、この結晶化以前にあったさまざまな要因を見ていくことが大切なんですね。結晶だけを見ることはわかりやすいのですが、それではメディアと社会の未来をダイナミックにとらえることはできません。たとえば社会のなかで、いま様々な事柄、とくに人間のコミュニケーションというものが、断片化したり、個別化したり、あるいは身体とか場所といったこれまで僕らが親しんできたものから乖離してるような状況が起こっています。そのことをモバイルメディアは象徴もしてるし、結晶化もしているわけです。モバイルという結晶を通して、その向こうにあるこうした現象を捉えていきたいわけです。
山川:どうも我々の社会は新しいもの、例えばモバイルがでてくること、それと犯罪の因果関係を求める傾向が根強い。その点についてはどう思われますか。
水越:メディアの20世紀の歴史をみても、新しいものが出た時、既存のメディア業界や伝統的なものに慣れ親しんだ人は必ず新しいメディアをネガティブに捉えます。新しいものだけでなく、こういう映画があったからこういう暴力が出てきた、という話は根強いですね。1999年にアメリカのコロラドのコロンバインという高校で、銃乱射事件がありましたね。そのとき生き残った高校生によるルポルタージュが「コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー」というタイトルで最近出版され、その書評を書くために読んだんですけど、犯人の二人は、実は幼稚園ぐらいのころから絶え間ないいじめと無視にあっていたんです。単純にこの子たちは自分たちの人生と学校生活に絶望していた。アメリカでは、スポーツのできる子とかアメフトのチアリーダーをやってる子というのが非常に礼賛される。一方で、コンピュータをさわってたりするような子どもは、足げにされるような状況があったんですね。二人はテレビゲームが大好きで、そのことが犯行にすごく関係があると言われましたが、そのいちばん身近にいた著者の少年は、そうじゃないと。テレビゲームはみんながやっていた。実はいちばんの問題は、家族が彼らを見放し、学校も彼らを見て見ぬふりをし、まわりに絶え間ない陰惨ないじめと排除がシステムとしてあったこと。その社会の仕組が問題なのだと、その本は主張してるわけです。
山川:さきほど水越さんがおっしゃたメディアからだけでなく、もっと社会全体を見わたすような視点が必要ということですね。
水越:モバイル社会というのは、モバイルメディアがインパクトを起こして社会に影響を与えていくという過程でもあるんですが、実は社会自体がモバイルになっているということでもある。空間移動が激しく、社会が断片化していく中で、僕たちは仕事とか勉強をやっていかなければなりません。僕らが場所とか人といったものに親しみをもって生きていくことができなかったり、時間とか速度に追われて、人とのコミュニケーションが個別化したり、そういう状況で様々な問題が起こっているわけです。非常にフレキシブルになっているこのモバイル文化には、もちろんいい面と悪い面とがあるわけですが、そのいい面の可能性をどうやって広げていくか。それは、さっき言った今のモバイルメディアの可能性をどう広げるかということと密接に結びつく話だと思います。
※所属はインタビュー当時のものです。
(インタビュー実施日:2004年6月22日)
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