Q1. モバイルメディアは今後も技術的な進化を遂げていきますが、その進化は私たちの身体感覚をどのように変えていくと思われますか??
Q2. 前の質問にやや関連しますが、進化していくモバイル技術と付き合わざるを得なくなるこれからの個人にとって、それと向き合うためにはそれ相応の「センス」や「スキル」を身につけていくことが求められることになるかもしれません。そうした「センス」や「スキル」、つまり広い意味でのリテラシーはどんなものになっていくのでしょうか。お考えをお聞かせください。
Q1とQ2を併せて以下に回答する。
端的に言えば、cyborg化とは、身体の身振りや状態といったあらゆる内的なプロセスが外化され、情報として共有可能となることを意味する。実世界を対象としたライフログのセンシングと解析技術が、ウェブに多く出現するmywareやマイクロ・ブログといった社会的ツールの機構に吸収されていくだろう。私たちはモバイル・メディアを受肉化する際に、情報としての自己のプロクロニズム(他者との関係性を内包する生成履歴)というリアリティを意識下に配置することになる。
このことが「離散的な状態」から「長期的プロセスの連続性」へと情報生成のパラダイムをシフトさせうるかどうかということに次世代のリテラシーでありアクティビズムであるところの命題を見出せると考える。
Q3. アートとモバイルメディアは、今後どのような接点を持つとお考えでしょうか。もし、モバイルメディアを使ったアートプロジェクトで面白いものをご存知でしたら(もしくはご自身の活動で何らか接点を持っているものがございましたら)ご紹介ください。
ラファエル・ロサノ・ヘメルの《amodal suspension – relational architecture 8》(2003)や、ウスマン・ハックら《Open Burble》(2006)は、モバイル・メディアが情報化した環境と即応する関係をもつ状況を具現化させた。しかし、それらはまさにアート作品として設計されたがために、サーチライト(ロサノ・ヘメル)や風船(ハック)といった壮大だが短命(ephemeral)な状況の提示にとどまっている。現在はそうした状況をアートという臨時的な枠組ではなく、いかにして長期的=日常的に情報化された環境と対峙するシステムが実装できるかということに関心がある。それはさらに言えば、ウェブが可能にする非同期通信の機構がもっと実空間におけるコミュニケーション(human to human & human to environment)に適用されることを意味している。その為にはまず、環境改変に関する社会合意を形成する必要がある。そのことを可能にする1つの取り組みとして、Creative Commons Public Licenseという法的フレームワークの普及に務めている。所有権によって引かれる物質的空間をめぐる様々な境界線は、情報の層において緩やかに消失していくだろう。そうして他者による改変をあらかじめ許容するあらゆるFree, Libre and Open Contents(FLOC)を互いに再構築し、新たな情報を生産する多次生産/創作の連鎖を生み出すための文化的基盤が形成される必要がある。
Q4. 携帯電話やPDAなどモバイルメディアの普及浸透する社会を構想しようとする作業は、これに関連する企業や知識人の間で様々に試行錯誤されてきました。あなたは、モバイルメディアが普及した近未来は、どんな社会になると考えていますか?なるべく具体的にお聞かせください。
cyborg、つまり代補的な外部性としての通信計算機能を備えるようになった身体群は、オープンな再定義可能性が担保されない限り、身体レベルでのデジタル・ディヴァイドを引き起こした社会の中で少数のマスターに制御されるスレイブとしての機能役割を果たすにとどまる。諸個人のライフログ=生態履歴はそうした身体から常時ネットに発せられ、人々はセキュリティと利便性という物語と引き換えに固有性を縮退させていく。そうして実世界の情報がネット上で行き交う中、他方ではネット上から実世界へと物質化される情報を人々は共有する。ネット上での自己情報は、実世界での代補的身体と鏡像の関係にあり、その両者は1つの持続的世界を形成する。言い換えれば、身体の拡張としてのインターネットはこの時初めて具体化し、万人による万人に対する終わりのない情報戦がようやく身体性を伴うようになる。
Q5. あなたの暮らす国・地域で、モバイルメディアはどのように活用されていますか?あなたが日頃感じている、何か特徴的だと思われることや、社会が直面している問題などがあったら教えてください。また、あなた自身がモバイルメディアをどのように活用されていますか?
私は、Smart Phoneを電話機能以上に日常的なメモや議事録作成、写真撮影、PDFの閲覧というように、なるべくPCと同じぐらいの期待役割を投影しながら使用しているが、まだ理想のユーザビリティにはほど遠いと感じている。今日、日本の人々が使っているモバイル・メディア(主にケータイ)は、携帯型計算機から接続するインターネットとの差異を徐々に縮めているように見える。しかし、iPhoneのようにPCと同等に高度な情報操作を(原理上は)可能とするSmart Phoneが普及するほどまでには、一般に情報を能動的に生成し、発信する生活様式は浸透していない。インターネット全体においてすら能動的なcommiterは10%に満たない現状を考えると、より無意識的な情報制作のインタフェースや様式が提案されていかない限り、ケータイは有用な情報をフィルターして配信したり、つながりを保つための護符のような存在でしかない。文化の進化を少しでも推し進めるためには、私たちがネットに接続した身体を持っていることの本質を真剣に考え、情報を発信するためのモバイル・メディアを作っていかなければならないだろう。
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